国士舘要覧 2017
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39国士舘要覧2017 歴史次世代を担う柴田德次郎、花田大助、喜多悌一、上塚司ら大民団の活動は、「言論」では、1916(大正5)年6月の雑誌「大民」創刊以来、1945(昭和20)年までその役割を果たし、「教育」においては、1917(大正6)年11月、東京?麻布に私塾「國士館」の創立をみました。国士舘は、1919(大正8)年に世田谷に移って基盤を整え、高等部?中等部と本格的な学校を設け、これを起点に今の総合学園国士舘へと発展を遂げました。波瀾の時世、国士舘の興隆を支えてきた人々は少なくありませんが、まず挙げなければいけないのは、終生、学園経営の責を担ってきた創立者の功業と、国士舘創建の四長老として知られる頭山満、徳富蘇峰、野田卯太郎、渋沢栄一の存在です。また、中野正剛、緒方竹虎、松野鶴平の名も国士舘発展の歴史に深く刻み込まれています。2003平成15年政経学部を昼夜開講制に改組課程設置大学院スポーツ?システム研究科?人文科学研究科に博士2006平成18年国士舘大学地域交流文化センター完成研究科(修士?博士)設置大学院に総合知的財産法学研究科(修士)、グローバルアジア2007平成19年工学部を改組し理工学部理工学科設置2008平成20年体育学部にこどもスポーツ教育学科設置完成世田谷キャンパスに梅ヶ丘校舎(34号館)2009平成21年鶴川キャンパスを町田キャンパスに名称変更2010平成22年大学院に救急システム研究科(修士)設置2011平成23年経営学部経営学科設置2013平成25年大学院救急システム研究科に博士課程設置ホール完成世田谷キャンパスにメイプルセンチュリー2016平成28年センター多摩完成多摩キャンパスにメイプルセンチュリー変更政経学部政治学科を政治行政学科に名称2017平成29年国士舘創立100周年1951昭和26年財団法人至徳学園から学校法人至徳学園に変更1956昭和31年短期大学に体育科(3年制)設置(昭和35年3月廃止)1958昭和33年体育学部(体育学科)設置国士舘大学設置1961昭和36年政経学部(政治学科?経済学科)設置1962昭和37年政経学部に経営学科設置1974昭和49年教養部設置(平成8年3月解体)1963昭和38年(平成19年4月理工学部改組、平成25年3月廃止)工学部(機械工学科?電気工学科)設置1964昭和39年太宰府校地取得(平成25年4月閉鎖)工学部に土木工学科?建築学科設置1965昭和40年政経学部二部(政治学科?経済学科)設置(平成19年3月廃止)政治学研究科?経済学研究科(各修士?博士)設置国士舘大学大学院設置1966昭和41年設置文学部(教育学科?史学地理学科?文学科)法学部(法律学科)設置鶴川校舎(鶴川キャンパス)開設1953昭和28年41年3月廃止、国文科平成15年3月廃止)国文科?経済科二部設置(経済科二部昭和国士舘短期大学(2年制)設置は至徳のまま、昭和30年3月廃止)高等学校、国士舘中学校となる。専門学校至徳学園を国士舘の名称に復す(国士舘梅ヶ丘校舎(34号館)完成国士舘短期大学設置鶴川校舎開設メイプルセンチュリーセンター多摩完成メイプルセンチュリーホール完成
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