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卒業生

【卒業生奮闘 この人】プロ野球審判員?森健次郎さん

政経学部二部 1986年卒業

本学の17万人以上にのぼる卒業生は、社会に出てからさまざまな世界で活躍を見せています。この企画では、社会で奮闘する卒業生に国士舘で学んだことや現在の目標?夢などをインタビューし紹介します。

2021年9月14日、リモートで取材

セ?パ両リーグでそれぞれ年間144試合。日本プロ野球機構審判員の森健次郎さん(昭和57年国士舘高校、同61年国士舘大学政経学部二部卒業)は、そのうち約100試合に“登板”する。2017年には通算2000試合を達成するなど34年にわたって数々の名勝負に携わってきた。今年開催された東京オリンピックでは、日本プロ野球界からは初の審判員4人の一員として選出され、5試合で審判を務められた森さんに、在学中の思い出や知られざる審判員の仕事を伺った。

1軍の試合審判員は1試合5人編成で、うち一人は予備要員。森さんは試合開始の2時間前には球場に入る。選手と同様に、悪天候や試合が長時間に及ぶ場合に備えてストレッチやウォーミングアップを欠かさない。常に見られていることを意識し身支度にも神経を使う。スパイクをピカピカに磨くのも、審判員の誇りと姿勢を示すこだわりの日課だ。

審判団としても大切な準備がある。滑りの原因となる硬球の表面についた蝋(ろう)を専用の砂で揉んで取り除く作業だ。審判室には一試合あたり平均10ダース、120個の「試合球」が持ち込まれる。
「審判員が目立つような試合にしてはいけない」と森さん。2018年に導入されたリクエスト制度は、審判の判定をビデオで検証できる仕組みで、監督から審判員への直接的な抗議がなくなり、気持ちは楽になったというが、「それによって判定が覆るようではダメ」と表情を引き締める。技術向上に努め、検証結果が審判員の判定と一致することで、より審判団への信頼を高めたいという。「ビデオ判定は時代のすう勢だが、それでも人間が審判するから面白い」と森さん。そのためには誠実であることに徹し、選手に尊敬される人間でありたいと力を込める。

オンラインで取材を受ける森さん

鍛えられた野球部時代

仕事の傍らにシニアの審判員をしていた父親の影響もあり、物心ついたときから野球は身近なスポーツだった。世田谷区の自宅に近い国士舘高校入学と同時に野球部に入部。寮生活と「戸次義二監督(当時)からの硬軟織り交ぜた指導で」心身が鍛えられ、プロの審判員として、その素地がつくられた。2年生のときにマネージャー兼コーチに任命されチームを支えた。国士舘大学へ進学以降は、東京都高校野球連盟、東都大学野球連盟の審判員として力をつけた。プロ志望は念頭になかったが、プロ野球の審判員を招いた講習で、「そのかっこよさに惹かれて」プロへの道を目指す決心がついた。

狭き門をくぐり金字塔

プロ野球の審判員になるには、毎年12月に実施される約7日間の専門プログラムでプロ審判員の講師のもと座学と実技を受講する。修了時に高い適性が認められると、翌春のプロ野球キャンプに参加することができる。そこで再度、適性判断が行われ、合格すると「育成審判」あるいは「研修審判」として日本プロ野球機構(NPB)と契約を結ぶ。いずれも1軍の審判員になるまでには、2軍や独立リーグで5年程度の経験を積むという。さらに1軍で主審を務めるようになるには、塁審として5年から7年の経験が必要といわれる。森さんがNPBの前身のセントラルリーグ審判員として入局した昭和63年当時は、欠員が生じた年だけ募集があった。

神宮球場での1次試験で実技、レポート、面接をパスすると、2次試験ではプロ球団のキャンプに4日間参加。応募者700人のうち、合格者は森さんを含む3人という狭き門だった。

審判員は、シーズンが終わっても研修や講習会の実施、後進の発掘?育成のほか、次のシーズンに備えて各球団のキャンプ地を回りブルペンで「目慣らし」をする。完全オフといえるのは、1月の約2週間という。現在、NPB登録の審判員は58人で、森さんはシニアクルーチーフとして今や名実ともに球界を代表する存在だ。それでも「もっとうまくなりたい」「まだまだ伸びしろはあるはず」と向上心が尽きることはなく、ジャッジのプロとして研さんを積む。

常に緊張を強いられる審判員の仕事。長く続ける秘訣は、判定に疑念を持たれることがあっても、意図的に気持ちを切り替えることだという。そんな森さんだが、判定で苦しんだ経験を「翌日の新聞は全部買い占めたいくらい」と笑って振り返る。

東京オリンピックでは重責を果たし“侍ジャパン“の金メダルとともに、その金字塔を打ち立てた日本審判団。森さんはこの経験を継承する使命を強く感じている。

東京五輪では5試合で審判を務めた。8月3日のドミニカ-イスラエル戦で二塁塁審を務める森さん=Getty Images提供
「言葉の壁は世界共通のルールで超えられることを実感した」と森さん(中央)。東京五輪の野球競技会場となった横浜スタジアムで審判団と。

「四徳目」を人生訓として

本学の教育理念の四徳目「誠意?勤労?見識?気魄」を人生訓として今も大切にしている。「四徳目は人の生き方に必要なすべて」と社会に出てから身に染みたという。
母校の後輩たちに一言アドバイスを求めると、仕事を語る厳しい表情が和らぎ、優しいまなざしに。「失敗から得られることは多く、人の痛みも分かる。恐れずに挑戦する心をもって」とエールを送る。「何より生涯の友との出会いを大切にしてほしいですね」

プロフィール

森 健次郎(もり?けんじろう)

1964年1月22日生まれ(57歳)
1982年国士舘高校卒業、1986年国士舘大学政経学部二部卒業
東京都世田谷区出身

日本プロ野球機構審判員 
シニアクルーチーフ