編集部:国士舘大学の21世紀アジア学部?21世紀アジア学科で、
学生はどのようなことを学んでいるのですか?
国士舘大学の21世紀アジア学部は、成長著しい現代(21世紀)アジアを舞台に活躍できる人材を育成することを目的として誕生しました。本学部の学びで私たちが大切にしているのは、「交流」と「理解」です。アジアの国々が互いに交流を深め、相手のことを理解する。その「異文化交流」と「相互理解」という基盤の上で、初めて経済や商業などの活動は成立するのだと考えています。
本学部には、「アジア文化コース」「アジア社会コース」「アジアビジネスコース」の3つのコースがあり、2年次から学生はそれぞれのコースに進んで行きます。ただし、他のコースの授業が取れないわけではありません。異文化を理解するためには幅広い知識と教養が必要です。そのためにさまざまなことが幅広く学べる柔軟なカリキュラム構成になっています。堅い言い方をすれば、分野を横断する「学際的」な学びを行っているということですね。
そして、もう一つ付け加えておきたい特徴は、学びの対象はアジアに限らないということ。グローバル化した現代のアジアでは、人も文化も世界中に広がっています。世界を広く見据えたグローバルな視点でアジアを見ていく。そのアジアの中にある日本を見ていく。世界の中のアジア、世界の中の日本といった具合に、学生たちは常に「世界」を意識して学んでいくことになります。
編集部:日本の伝統芸能が学べる科目もあるとうかがいました。
これにはどのような狙いがあるのですか?
「異文化交流」ということになると、相手の文化を知るだけでは足りません。自国の文化を相手に伝えることも必要になってきます。そういう意味で、学生たちはもっと深く日本のことを知っておかなければなりません。グローバルな視点から「世界の中の日本」を再認識するために、華道や茶道、日本舞踊や着付けといったユニークな科目が設置されているのです。また、本学部ではアジアの言語を習得するための「海外語学研修」が必修になっていて、学生は4年間の在学期間中に一度は日本を離れ、アジアの国で学ぶことになっています。
もう一つの理由は、この学部には海外から学びに来る留学生が多いということです。留学生のみんなにも、日本の伝統文化を紹介し、実際に体験してもらいたいと思っています。日本の学生はアジアの国に行って、その国の言語や文化を学ぶ。留学生は日本に来て、日本の言語や文化を学ぶ。互いに相手の国のことを学ぶことで、相互理解を深めていこうという狙いがあります。
編集部:先生はこの学部で、どのような授業を担当されているのですか?
私の専門は古代の中国史とかシルクロードなので、中国の歴史や東洋史、日中関係史などを教えています。魏志倭人伝や卑弥呼の時代から、魯迅の時代に至るまで、日中関係がどのようなものだったのかということを授業では見ていきます。
もう一つは、文化論のようなことですね。古代から現代に至るまで、どのような形で文化が発展してきたのかということを概観していきます。私の場合は研究の対象が広い分野に及んでいるので、授業の内容も幅広いものになっています。
編集部:先生はゼミも受け持たれていますね。ゼミでは何を学んでいるのですか?
ゼミは1年生のための「総合演習」という基礎ゼミと、3年?4年生のための「21世紀アジア学演習」という専門ゼミを受け持っています。
大学に入ってきたばかりの1年生は、まだ研究や発表のやり方を知りません。ですから基礎ゼミでは、学部全体で作成した「アカデミックスキルテキスト」という教材を使い、文章の要約の仕方や、正しいレポートの書き方などを学んでいきます。専門の学びに入っていくための準備運動のようなものですね。
基礎をしっかり身に付けたら、次はそれぞれが興味を持っている分野の学びに入っていきます。それが3?4年生の専門ゼミです。私のゼミは古代の中国研究がメインですが、でも、基本は文化ゼミなので、やろうと思えばどんな研究でもできます。今年の卒業生の中には、印象派の画家「モネ」をテーマに取り上げた者もいました。中国の古代だけではなく、映画やアニメ、美術、芸術、建築など、広い分野に興味のある学生が集まっています。私自身がいろんなことに興味があって幅広い研究をやってきたので、研究テーマは比較的自由に選んでもらっています。
編集部:具体的に、ゼミではどのような授業が行われているのですか?
私のゼミでは一冊のテキストを使って、それを深く読み込んでいくという授業をやっています。ちなみに昨年は、中国の四書五経のひとつである「大学」という書物を読み解いていきました。
中国の古典というと古くさそうに思えますよね。でも、これがまったく違うんです。『大学』は12世紀に朱熹という人が校訂し、儒教の「四書」のひとつとしたもので、朱子学では重んじられた本ですが、読んでみると今に通じるものがあり、そして、ものすごく僕らを励ましてくれる内容なんです。私のゼミに来る学生は、どちらかというとおとなしめの人が多いのですが、「大学」という本は、今を生きる我々に自信を与えてくれる素晴らしい書物です。私自身も読んでみて、大いに勇気づけられました。
「大学」にあるのは、自分の身を修めること(修身)が、回りまわって世界の人のためになり、世界理解につながるという考えです。そしてまた、世界を理解することで自分を見つめ直すことができるとも言っています。これはまさに21世紀アジア学部のコンセプトに通じます。世界の中に身を置くと、自分を見つめ直すことができる。そして、見つめ直した自分が世界に応じていけるようになる。自分から世界へ、世界から自分へという、世界と自分の双方向性の大切さが書かれています。今から千年近く前に書かれた書物ですが、まさに現代に通用する考え方です。
編集部:2020年は、コロナ禍でたいへんだったと思います。どのような形で授業を続けられたのですか?
そうですね、かなりたいへんでした。ただ、その中でも学生の皆さんにはできるだけいつもと変わりなく授業を受けてもらえるよう、自分なりに工夫しました。講義については、パワーポイントの資料に音声を埋め込んだものを国士舘大学の講義支援システム「manaba」にアップして、視聴できるようにしました。ゼミの方はZoomというオンラインの会議システムを使って、双方向での授業を行いました。今は対面の授業も始まりましたが、事情があって出て来られない学生に配慮して、Zoomを併用しながら遠隔でも参加できるようにしています。対面の場合はマスクを付けて、ソーシャルディスタンスを保ちながら授業を行っています。
編集部:先生のご専門はシルクロードですね。
どのような経緯でこの分野の研究を手がけるようになったのですか?
もともと高校生の頃からギリシャの文明が大好きでした。でも、同時に古代の中国にも興味があって。だから大学に進学したときは、西洋史をやるか東洋史をやるかで迷っていました。
当時、ちょうどシルクロードがブームになっていて、在学していた大学にシルクロード研究の第一人者の先生がいらしたのです。「あ、シルクロードなら、東洋も西洋も両方研究できるかもしれない」と思い、その先生のゼミを取ったのが始まりでした。
シルクロードというと中国のイメージが強いのですが、でも、私の頭の中には常にヨーロッパがありました。それというのも、私の父親が大学の教員で、ちょうど私が大学生のときに1年間、父親の研究でフランスに住んだことがあるのです。実はフランスには、シルクロード研究の長い歴史がありまして、今から百年ほど前に、フランス人の探検家ポール?ペリオが中央アジアを探索し、敦煌から多くの文献を祖国に持ち帰りました。また、イギリス人のオーレル?スタインも中央アジアを探険し、発掘調査を行っています。こうしてシルクロードの第一級の文献や遺物が、ヨーロッパの博物館に集められていったのです。シルクロードというと「中国」というイメージがありますが、その研究の源流はヨーロッパにあるのです。
編集部:国士舘大学から在外研究でイギリスに行かれたのも、シルクロード研究のためですか?
はい、そうです。国士舘大学からは、ロンドン大学の東洋アフリカ研究学院(SOAS)に客員研究員として行かせていただきました。
研究を始めた当初、私は主に中国の古代の東西交渉の文献を調べていました。なので漢文ばかりを読んでいたわけです。ところが、中国の古代のことが分かってくるにつれ、そのルーツは中央アジアの方にあるんじゃないかと考えるようになってきたのです。中央アジアや西アジアの草原あたりにいたのは、古代のイラン系の遊牧民です。彼らが東西に広がって、西に進んだ者がゲルマン人となり、東に行った者がツングース系の人々と混ざり合い、隋や唐という国を作るんです。古代のイランの北方文化が、西洋の文化の元も作るし、東アジアの文化の元にもなっているんです。
こういうことが分かってくると、それまで抱いていた西洋や東洋のイメージはガラッと変わってきます。実際、イギリスに行ってみると分かるのですが、何がブリティッシュなのかということを今のイギリス人は真剣に考えています。特にロンドンなどは人種のるつぼですから、いろんな人種の人がロンドンっ子になっているわけです。博物館の展示などを見ても、かつての帝国主義への反省の上に立脚していて、悪しき歴史を乗り越えて今のイギリスは多文化共存しているのだというメッセージを発信しています。こういう感覚はまだ日本ではあまり理解されていませんが、私はイギリスに行ってシルクロードの研究を見直すことによって、目からうろこが落ちるような体験をしました。
編集部:このような多文化共生の精神は、21世紀アジア学部のコンセプトに通じますね。
まさに、そうなんです。私は中国の四川省にあるチベット地区にも調査に行ったことがあります。そこには今でも羌族(きょうぞく)という少数民族が住んでいます。チベット族や羌族は、昔の中国の王朝と深いつながりがあるんですね。そして、さらに羌族は中国南部の雲南の方にも移動していきます。雲南の文化は日本の文化とよく似ているといわれていて、ここで日本との関わりも出てくるんです。シルクロードを中心に、西洋と東洋を見ていくと、これまで自分の中でバラバラにあった知識が、一本の糸に撚り集まるかのように結び付いてきました。この感覚こそが、21世紀アジア学部が創設以来提唱してきた「異文化交流」や「相互理解」に通じるのだと思います。
編集部:先生は宮澤賢治の研究もなさっていますね。賢治とシルクロードもつながりがあるのですか?
はい、宮澤賢治もシルクロードが大好きで、それを題材にした童話をたくさん書いています。「雁の童子」という代表作は、まさにシルクロードが舞台で、「銀河鉄道の夜」の中にもそのモチーフは生きています。
イギリスの探検家、スタインが20世紀初頭にシルクロードから発掘した仏教寺院の壁画があるんですが、私の調べによると、たぶん賢治はその壁画からインスピレーションを得ていたのだと思われます。盛岡の花巻に住んでいた賢治は、ときどき東京に出て来て勉強するのですが、そのときに当時上野にあった帝室図書館を訪れて、フランスのペリオやイギリスのスタインの報告書などを見たはずです。その中にある図版や写真を見て、賢治は衝撃を受けたのでしょう。壁画の中にある仏像は、日本の仏像とまったく違って、西洋を思わせるエキゾチックな顔立ちをしているからです。賢治の作品の中には、スタインが発掘した壁画にある子どもや天人が、姿形を変えてたびたび現れてきます。
私は宮澤賢治のことが、子どもの時分から大好きでした。だから、専門の研究とは別に興味を持って調べていたのですが、ここに来て、賢治もまたシルクロードという糸によって、本筋の研究と結びついてきてしまいました。私の頭の中にあったさまざまな事柄が、まるでパズルのピースがはまるように、一つになりかけているのを感じています。
「シルクロード研究は、大風呂敷だよ」と、よく言われます。私の恩師にも、そのようなところがありました。途方もなく幅広く、ほとんどありとあらゆる文化や交流のテーマにつながっているという意味ですね。まさに今、私の中で同じことが起きつつあることを感じています。広く浅く散らばっていた知識が、自分の中で太い一本の柱になりつつあるのです。そういう意味では、私も「大風呂敷」の系譜を継いでいるのかもしれません。
編集部:最後にお尋ねします。先生は21世紀アジア学部の学びを通して、
学生にどのような人間になってほしいとお考えですか?
そうですね。学生には、何でもいいから一つ興味のあることを見つけて、学び続ける人になってほしいと思っています。ゼミナールの語源は、ラテン語の「seminarium」という言葉で、「苗床」という意味があります。私たち教員がやっているのは、学生という苗床に小さな学びの種を植えること、そして水をやること。それがどのように芽を出し、どう枝を伸ばし、どういう木になり、どういう花を咲かせるのかは、私には分かりません。種を育てあげていくのは、学生自身だからです。それが一つですね。
そしてもう一つ、一人の教育者として思うのは、思いやりのある、穏やかで、いつもニコニコとしていられる人間になってほしいということです。そういう人でいてくれたら、極端な話、勉強などはどうでもいいかなとも思うのですね。
ゼミをやっていて私がいちばん嬉しいのは、学生がにこやかに授業を受けている姿を見ているときです。逆に悲しいなぁと思うのは、ムスッとした不機嫌な顔でいるときです。確かに本学に来た人の中には、挫折を経験して、やや自信をなくしたり、元気がなかったりする人もいます。でも、そんなことは気にしなくていいんです。少なくとも私のゼミに来たからには、もう挫折を引きずる必要はない。まわりの人の目も気にしなくていい。みんな友だち同士なんだから、ここでは機嫌よく、ニコニコして、楽しく学ぼうよと言いたいです。
先ほど朱子学のことに触れましたが、「大学」という書には、まさに挫折して目標を見失いかけた人を励ますようなことが書かれています。朱子学は日本に入ってきて、武士階級の精神的な支柱になったと言われています。武士の人たちはモラルがあり、胆力もあって、挫折を乗り越える強い精神力を持っていました。だから、明治維新などという偉業を成し遂げられたのでしょう。
多少辛いことがあっても、くじけずに、いつも機嫌よく、ニコニコしていられる人。そういう芯の強い素敵な人になってくれれば、私としてはもう何も言うことはありません。
濱田 英作(HAMADA Eisaku)教授プロフィール
●修士(文学)/早稲田大学 大学院文学研究科 東洋史専攻 博士課程単位取得満期退学
●専門/東洋史、中国史、東西交渉史、比較文化論、地域文化論、宮澤賢治研究