2020年は?新型コロナウィルスの感染拡大によって、日本はもとより世界中が混乱する事態に陥りました。先の見通しの利かない時代に、不安を抱かれる方も多いと思います。今後、世の中がどうなっていくのか、そこに向かって国士舘大学には何ができるのか。国士舘建学の精神に立ち返り、佐藤圭一学長にお話をうかがいました。
編集部:今、世の中は大変なことになっています。このような状況下において、国士舘大学の果たす役割は何でしょうか。
私塾「國士館」が誕生したのは、今から100年以上前の1917年です。それから1世紀を超える歴史の中で、日本は数多くの困難に見舞われてきました。創立の翌年には、スペイン風邪が大流行して大勢の人が命を落としました。その5年後には関東大震災が発生します。1930年代には世界大恐慌が起こり、その後は第二次世界大戦が勃発します。しかし、それでも日本人はへこたれませんでした。それらの困難をすべて乗り越え、今の私たちがあることを、まずは再確認したいと思います。
私は教育でいちばん大事なものは「パッション=情熱」だと思っています。そして、国士舘を創立した柴田德次郞は、まさに情熱の塊のような人物でした。15歳で福岡県から上京し、弱冠27歳の若さで私塾「國士館」を創立したのです。建学の精神は「国を思い、世のため、人のために尽くせる人材『国士』の養成」を目指すというものでした。私欲を捨て、利他の心で、人のために働ける真の日本人の育成に心血を注いだのです。
柴田先生ご自身も、さまざまな困難に直面してきました。終戦後は公職を追われ蟄居する身となり、また国士舘の特徴である武道教育も廃止になりました。しかし、その間にも教育に対する情熱は一切失わず、戦後の日本をどうやって再興するかを考えていたのです。
戦後すぐの民主主義の世の中には、「国家」や「秩序」といったものへの抵抗感がありました。そのような言葉を口にすると、すぐに「戦前回帰だ」と言われ、批判されたのです。しかし、国のために役立つ「国士」を育成するという柴田先生の信念は、微塵も揺らぐことはありませんでした。この創立者の熱い想いを、国士舘大学は受け継いできたのです。
特に私がそれを感じたのは、3.11の東日本大震災のときです。あのとき人々の命を救ったのは、被災地に駆けつけ、自らの命を顧みずに働いた警察官であり、消防隊員であり、自衛隊員たちでした。そしてまた、あの大災害によって被災した人々が、日本人の美徳ともいうべき「連帯意識」や「利他愛」を見せてくれました。自分のことより人のことを心配する相互扶助の精神、昔から受け継いで来た日本人の心に、まさに世界中の人々が注目したのです。
いま、ふたたび世の中は困難な状況に直面していますが、国士舘は建学以来変わることなく、国を思い、世のため、人のために尽くす人材を養成しています。今こそ、日本人が持てる優れた資質が、まさに力を発揮するときではないでしょうか。
編集部:先の見えない時代に問われるのは、一人ひとりの人間力だと思います。どのように人間力を養おうとお考えですか。
国士舘大学の学生がインターンシップや教育実習に行くと、多くの方からお褒めの言葉をいただきます。礼状ひとつとっても、国士舘の学生は自分で考え、自分の言葉で語ってくれると。それは本学の教育が、大きなひとつの目的を達していることの証だと私は受けとめています。「誠意、勤労、見識、気魄」、これは本学が建学の時より大切にしている四徳目です。その成果が、ひとつ現れていると感じています。それから、本学は7学部すべてにおいて教職課程をとることができます。師とは何か?教育とは何かについての学びが、しっかりなされているということです。
そして、もうひとつ特徴的なのは、防災教育を徹底していることです。毎年4月の入学式終了後、会場で新入生を対象に防災への知識を深めてもらうプレゼンテーションを行います。また、オリエンテーションでは、「防災総合基礎教育」を実施し、AEDの操作方法や、初期消火をはじめ、実習を交えてさまざまな防災知識を授けます。さらに、総合教育科目として、「防災リーダー養成論」が配当され座学と実習で、防災とは何なのか、人の命の大切さ、自分を守る、家族を守る、地域を守る、社会を守るとはどういうことかを学びます。これらの教えが血肉となって、学生の人格形成に大きな影響を与えているのだと思います。
昭和の時代には、震度7の地震は一度も来ませんでした。しかし、平成以降は、東日本大震災を含めて震度7を記録した地震が6回も起きています。また、その度に未曾有と称される大水害も毎年のように発生するようになりました。このような状況下で問われるのは、まさに一人ひとりの人間力です。知識と教養を身に付けて、傷ついた人に寄り添い、それを暖かく迎え入れ、介抱できる人間。人の苦しみや悲しみを受けとめ、なおかつ励ませる、そういう頑健な精神と肉体を持った人間が、現代版の「国士」だと思います。国を思い、世のため、人のために尽くせる人間力のある人材を涵養し、社会に還元していきたいと思っています。
編集部:今後、社会には大きな変革がもたらされると予想されています。どのような社会になっていくとお考えですか。また、そこに向けて国士舘大学が果たしていく役割は何ですか。
国士舘大学でも、今年の春期はすべてオンライン授業になりました。このようなITツールの活用は、社会において今後ますます盛んになっていくでしょう。
ただし、私が思うに、そもそも人間は社会的な動物で、決して一人では生きていけません。聞くところによると、ちょっと前までは「楽しんで仕事をしたい」という人が多かったけれど、今は「人のためになる仕事をしたい」という人が増えてきたようです。東日本大震災の直後もそうでしたが、人間は社会的な動物なので、社会の役に立つことがいちばんの生きる証なんですね。「人間は社会的動物」と言ったのは、ギリシャの哲学者アリストテレスです。古代より、社会は大きなコミュニティであり、それなくして人間は生きていけない。それこそが人間の普遍性であり、時代がどう変わっても、そこの部分は変わらないと思います。そういう意味で、建学以来の国士舘大学の考えは、社会の要請にマッチしていると信じています。
編集部:学長の目から見て、国士舘大学はどのような大学ですか。他大学と比べてユニークな点はありますか。
本学が目指すひとつの理想像は、「日本一面倒見のいい大学」になることです。たとえば悩み。18歳から20歳ぐらいは、人生の中で最も悩み多き年齢です。そのため、国士舘大学は「学年担任制」という制度を設け、多くの学部に一年生のときからゼミがあります。学生と教員との距離がとても近い大学なんですね。入学した時点から卒業までずっと、自分の悩みや進路などを先生に相談できる機会が設けられています。学生にはぜひとも、この環境を活用していただきたいと思っています。
ゼミは、大学の中でとても大事な時間です。大学でつくる友人は、一生の友となります。卒業後に、日本中に世界中に、大学でできた友達は広がっていきます。その付き合いは、生涯ずっと続いていくのです。
大学で学ぶ時期は、長い人生のうちのたった4年間ですが、私はこの時期を「宝物」だと思っています。大学にいる間は、何をやってもいいんです。アルバイトをしてもいいし、海外旅行をしてもいい。読書もふんだんにできるでしょう。この自由な時間は、学生の特権です。ぜひとも幅広く教養を身に付け、いろんな経験をしてほしいと思います。生涯の友とともに、これがその後の宝物となり、人生の糧となります。この貴重な4年間をどう過ごすかは、一人ひとりの考えにかかっています。自分でよく考えて、有意義に過ごしてもらいたいと思っています。
編集部:最後に、国士舘大学への進学を希望している高校生の皆さんに向けて、メッセージをお願いします。
本学には、「夢をあきらめない」というスローガンがあります。この言葉には、誰もが持っている夢、やりたいことを国士舘大学の学びを通して実現してほしいという願いが込められています。本学では毎年、入学者とそのご父母に向けて、「夢をあきらめない」アンケートを実施しています。その中には、入学して国士舘の仲間となった学生のさまざまな夢が書き込まれています。
たとえば、「4年後、憧れのアナウンサーに絶対なる」とか、「警察官を目指して頑張っていきたい」とか、「人のため、世のために活躍できる救急救命士になる」など。また、保護者の皆さんからも、読んでいて涙が出てくるような感動の文章をいただきます。「合格通知が来たときは、親子で抱き合って泣いた」とか、「4年後に子どもがどんな人になっているか楽しみで仕方ない」とか。このようなコメントの一つひとつを目にする度に、私自身、身の引き締まるような思いがし、重大な責任を感じます。
今は少子化の時代ですから、親御さんにとっては一人ひとりの学生が、丹精こめて育てられたお子さんです。その大切なお子さんに寄り添い、個性を伸ばし、夢を実現するお手伝いをすることが、本学に課せられた最大の使命だと心得ています。今は大変な時代ですが、人間の叡智で乗り越えられない困難はないと信じています。国士舘大学に入ってきた一人ひとりの学生が、夢を形にし、世のため、人のために役立つ「現代の国士」として巣立っていくために、全教職員が力を合わせてサポートしていきます。
ご自身の夢に向かって日々精進している高校生の皆さん、来年の桜の花の咲く頃に、希望に胸を膨らませる皆さんと笑顔でお会いできることを楽しみにしています。
佐藤 圭一(SATOH Keiichi)学長プロフィール
●博士(政治学)/国士舘大学大学院政治学研究科政治学専攻博士課程修了
●専門/アメリカ政治史