編集部: 飯塚先生は法律の分野でいうと、どこがご専門でしょうか?
私の専門の研究分野は民法です。その中でも金融法務と信託法をメインにやっています。金融法務というのは、銀行などの金融機関に関する法律関係のことをいいます。僕が最初に書いた論文は、銀行で日常行われている「印鑑照合」についてのものでした。みなさんが窓口で預金をおろすとき、印鑑を求められますよね。窓口の行員は、押捺された印鑑と銀行に保管している届出印を照合して本人確認を取り、お金を支払います。ここで問題となるのは、どこまできちんと照合ができているかということです。行員は何度も重ね合わせて確認しますが、完璧にそっくりに印鑑が偽造された場合は、だまされることもありうるわけです。このようなケースの場合、どこまで銀行に責任があるかといったことが焦点になります。金融法務は、そういう問題を研究する学問です。
編集部: 間違って払い出された場合は、法律的にどうなるんですか?
そこが難しいのです。銀行預金というのは、私たちは銀行にお金を預けていると思っていますが、法律的にはお金を貸しているのと同じように、預金者は銀行に対して債権を持っていて、銀行は債務を負っている。預金を引き出すというのは、貸していたお金を返してもらう行為と同じなんですね。普通の契約では、借り手と貸し手の顔が見えているので問題ありませんが、銀行の場合は不特定多数の人と取引をしています。だから、お金の払い出しを要求している人が本人かどうか分からない。だから、印鑑照合などで本人確認をしますが、間違うこともあるわけです。で、民法には、銀行が間違って第三者にお金を支払ってしまっても、お金を払い戻したことにしていいというルールがあります。この場合、もちろん銀行側には、預金者の本人確認に落ち度がなかったことを証明する必要があります。そこで争点となるのが、本人確認のために行われる印鑑照合なんです。何気なく利用している銀行預金ですが、法律的に見るとけっこう奥が深いのです。
編集部: おもしろいお話ですね。先生は普段の授業でも、 こういった具体的な話をなさるのですか?
はい。法律の学びはともすると抽象的な議論が多くなりがちなので、できるだけ具体的な問題を与え、それを解いていくという形でやっています。法律というと難しそうに思えますが、実は身近なものなんですよ。私は学生たちによく言うんですが、今日大学に来るのにバスに乗ってきただろう、あれだって契約なんだぞ。いま、ここに座って授業を受けていることだって、大学と在学(籍)契約を結んでいるからで、それも民法の世界なんだぞって。
法律を扱ったテレビ番組を題材にして使うこともあります。以前取り上げたのは、小学校の通学路で起きた事故についての事例でした。番組の設定では、通学路にある横断歩道が危ないので、PTAの方が交代で横断歩道に立って交通整理をすることになっていました。ところがある日、その横断歩道で前方不注意のため子供がバイクにはねられるという事故が起きます。事故に遭って入院した子どもに親が聞いてみると、そのとき横断歩道には誰も立っていなかったという。それで、当番の保護者に問い正してみると「忘れちゃったわ」と言って、反省の色も見せないんですね。そこで子どもの親が「訴えてやる!」となるわけです。授業ではこういう具体的な例を取り上げて「君ならどう考える?」と学生に問い、そう考えた理由を話してもらうようにしています。
編集部: このような学びを通して、学生にはどんな力が培われるのでしょう。
こういった日常にありそうなリアルな問題を提起して、それを解くことによって、自分自身の問題を解決する力ですとか、周囲の人間を説得する論理構成力とか、そういった力が養われると考えています。たとえば、先にあげた例では、法律的には横断歩道に立つことを忘れた人の責任を問うことはできません。事故に遭ってけがをした子どもの親御さんの訴えは認められないんですね。では、なぜ認められないのか。また、その結論が自分の感情とギャップがある場合、なんとか自分の思いと合致するような説明はできないか。こういった事柄を筋道立てて考えるのは、とてもいい勉強になります。また、四年生になると、それを文章にして深掘りしていくという学びを、卒論の作成を通してやってもらっています。最近は自己表現力とか、文章構成力が足りないといったことが問題になっていますが、卒論を書いていくうえでそういうスキルも身につけさせていきたいと考えています。
編集部: 先生ご自身は、民間の金融機関に在籍されていた経歴をお持ちですね。
私は大学の法学部出身ですが、就職をしたのは民間の銀行でした。都合13年銀行に勤めていましたが、その間にはいろいろな仕事をやりました。初めは支店で、皆さんもご存じの黒いカバンを持った行員を3年ほどやって、それから短期金融市場から資金を調達する仕事や、ユーロ債という債券を日本の投資家に売るという仕事もやりました。最後は香港でアジア株のファンドマネジャーをやって、それで銀行を辞めました。なぜ辞めたかというと、当時アジア通貨危機があって、僕の運用していたファンドの成績が元値の7割ぐらいに落ちてしまったんですね。株式の指標は半分ぐらいまで落ち込んでいたので、そこそこ健闘していたつもりでしたが、それでも会社の方からいろいろ言われまして、それでそろそろ潮時かなと思って銀行を辞め、シンクタンクに移りました。シンクタンクでは、運用会社を評価したりする仕事をやっていました。銀行時代の自分を現役の野球選手に例えるなら、シンクタンクの仕事は評論家ですね。その流れでいえば、いま、国士舘大学で若い人を教えている自分は、コーチになったということでしょうか。
編集部: 企業人としての経験がいまに生きているということですね。国士舘大学法学部の現代ビジネス法学科には、企業から来られた先生も多いのですか?
企業出身の先生は、けっこういらっしゃいますね。それが現代ビジネス法学科の特色の一つになっているような気もします。普通、大学の法学部というと、憲法、民法、刑法といった法律を縦軸で学んでいきます。ところが、現代ビジネス法学科はちょっと違うんですね。企業活動を主眼に置いて、ビジネスを展開するうえで必要になる知識やセンスは何かといった視点で、法律を横断的にとらえて学んでいきます。たとえば刑法でいえば、強盗や殺人といったことよりも、むしろ企業犯罪のところにスポットを当てて勉強していきます。コンセプトは、企業人として生きていくために必要な法律を学ぼうということで、ビジネス法、国際ビジネス法、知的財産法を三本の柱としてカリキュラムが組まれています。ビジネスで使われる場面に合わせて、法律を引っ張り出してきて学ぶわけですね。まさに実学をやっているというイメージです。また、専門科目として経済系や経営系の学科を設けているのも大きな特色でしょう。社会に出て、企業に入って、ビジネスの場で必要となる法律を幅広く学べる実践的な学科です。けっこうユニークで、ここでちゃんと勉強すれば、実社会で役立ついいカリキュラムになっていると思います。
編集部: 法律家にならずとも、普通に企業に就職する場合でも、ここの学びは役立つということですね。
おっしゃる通りです。初めにもちょっと触れましたが、世の中は法律によって成り立っているところがあります。銀行の印鑑照合もそうですし、バスに乗ったり、大学で授業を受けたりするにしても、背景には法律があります。よく「六法全書を全部覚えるんですか」と聞かれますが、そんな必要はありません。大切なのは、法律のコンセプトを知り、法的センスを身につけることです。たとえば、仕事をしていて、ビジネスの場面で問題にぶつかった場合でも、法的センスのある人は社会の基本構造が分かっているので、解決策が直感的に頭に浮かびます。また、法律を学んでおけば、それを周りの人に説得するための論理構成力も身につきます。こういったセンスや知識、能力は、社会に出てから必ず役に立ちます。
もし、高校生の方で、まだ自分の進路が決まっていない人がいたら、僕はぜひとも法律を学ぶことをおすすめしますね。なぜかというと、基本的に法律は、高校時代まで誰も学んでいないんです。誰もが大学に入ってからのスタートです。それは高校生にとって、ものすごいメリットだと思うんですよ。他の学問だと、似たような科目が高校時代の科目にあって、基礎ができていないと大学に入ってから苦労します。ところが法律は、大学に入ってからの学問です。一度リセットされ、まっさらの状態からスタートできるので、誰にでも平等に可能性が開けているのです。
編集部: しかし、法律と聞くとやはり難しいイメージがあります。 学生に教える上でどのような工夫をなさっていますか?
法律そのものは決して簡単ではありません。読んでみると分からないことがいっぱい書いてありますが、でも、そこは具体化して見ていけばいいわけです。もともと法律は、世の中で起きていることの決めごとなので、決して難しいことをやるわけではありません。実際にみなさんが生きている社会のことを扱っている学問ですから、具体的に考えていけばそんなにハードルは高くありません。
僕は、大学が休みのときには、自分の専門の研究に加えて、教育論の本を読んだりしています。どうやって教えれば、よりよく教えられるか、分かりやすく伝えられるか、常に悩み、考え続けています。せっかく国士舘大学に来てもらっているのだから、学生には少しでもいい教育を受け、大きく育ってもらいたいと思っています。
編集部: 法律を学ぶ意義は何ですか。学びを通して、どのような人材を育成したいとお考えですか。
大学を卒業して企業に入り、仕事を始めると、いろんな問題にぶつかります。僕もビジネスの場面にいたので分かりますが、仕事の中にはやりたくないこともあるんですよ。やっちゃいけないこともある。そのときに、自分が正しいと信じたことを実践できる気概のある人間になってもらいたい。問題があったとき、直感で「解決策はこれだ」と気づき、周囲の人間を説得できる論理構成力を持ってほしい。こういう能力のことをリーガルマインドといいますが、リーガルマインドを常に正しいことに使える、勇気ある人になってほしいと思います。
僕が法律を学びたいと思ったきっかけも、まさにここにあります。自分の目の前で起きている不正、不愉快なことに対して、自分が何も手を出せないもどかしさを感じていました。それに対して、法律を学べば、正しいことを貫ける力になるのではないかと感じたのです。自分がこうと信じたことに、真正面から向かっていける人間になってほしいと、僕は本気でそう思っています。
そして、法律は、ビジネスだけではなく、自分の生活を守るうえでも役立ちます。世の中には、法律を知っていないと落ちてしまう落とし穴がたくさんあります。消費者問題などはその典型で、悪徳業者は無知な人を狙って攻めてきます。知らないということ自体、リスクを抱えていることと同じなのです。法律を知っていれば、ここには穴があるから気を付けよう、ここは避けて通ろうと、自ら判断できるようになるわけです。ビジネスはもちろんのこと、人生を生き抜いていくうえで、すべての面で法律の学びは役立つと思います。
飯塚 真(IIZUKA Makoto)教授プロフィール
●法学修士。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了
●専門/民法、信託法、金融法
掲載情報は、
2011年のものです。