キルギス共和国は、カザフスタンやウズベキスタン、中国などと国境を接する中央アジアの国だ。21世紀アジア学部の3年生である僕は、「日本語教員インターンシップ」の制度を利用して、ユーラシア大陸の中央にあるこの国を訪れた。期間は9月から2月までの半年間。「キルギス国立民族大学」の教壇に日本語教師として立つためにだ。21世紀アジア学部では、日本語教員養成課程を修了すると、僕のように長期のインターンシップで海外の大学に行くことができる。大学院ならいざ知らず、学部生でこのような長期インターンシップを利用できるのは珍しいらしい。これも国際的な視野を持つ21世紀アジア学部の“アウト?オブ?キャンパス精神”の現れなのだろう。
キルギス国立民族大学は、8つの学部を持つキルギストップの総合大学で、在籍する学生は20,000人を数える。学校としての歴史も古く、創立したのは1932年のこと。キルギスで最も伝統と権威のある国立大学といっていいだろう。この大学は国士舘大学と包括的な「学術交流協定」を結んでいて、交換留学をはじめ、教員の相互交換、共同研究など、すべての分野での協力体制が確立されている。つまり、両大学は信頼の太いパイプで結ばれているわけだ。日本語教員インターンシップで来る学生も僕が初めてではなく、21世紀アジア学部の創立以来、5年連続で、学部からインターンの学生教員を送り込んでいる。僕は5代目の先生としてこの大学にやって来たわけである。
先生といっても、教える相手は自分と年齢の変わらない大学生たちだ。3年生の前期に一度、教育実習で日本にいる留学生に日本語を教えた経験はある。しかし、言葉の全く通じない異国の学生に、きちんと日本語が教えられるのか、正直いって初めは不安だった。そしてまた、見知らぬ土地での生活にも戸惑った。キルギス語もロシア語も分からない僕は、一人で街へ出て、買い物すらできない有様だったのだ。しかし、その不安を取り除いてくれたのは、教え子である学生たちだった。彼らはとにかく僕に親切にしてくれた。同じ学生である僕を温かく迎え入れてくれ、ときには市場まで一緒についてきて、買い物も手伝ってくれた。そしてまた、民族大学にいる日本語の先生たちも、毎日のように僕のことを気づかい、健康や生活面でのさまざまな手助けをしてくれた。この国の人々と気持ちが通じ合ったとき、不安な気持ちは、いつしか楽しみに変わっていた。
キルギス国立民族大学の他にも、国士舘大学は「キルギス国立ビシュケク人文大学」に「国士舘大学キルギスキャンパス」を置いている。ここは国士舘大学の学生や大学院生、教員などの活動拠点となる場所で、パソコンなどの機材をはじめ、身のまわりのアシストをしてくれる専従のスタッフなどが常駐している。このサテライトキャンパスは、国士舘大学の鶴川キャンパスとテレビ会議システムで直結され、将来は日本で行われる授業をキルギスで受けられる可能性もある。国士舘大学とキルギス、双方の協力関係に欠かせない重要な拠点だ。
キルギスで僕が住んでいるのは、キルギス国立民族大学が用意してくれた教職員専用のアパートだった。ソファやベッド付きの広々とした1Kで、寮に入っている留学生などから比べると破格の待遇といってよかった。とはいえ、生活は必ずしも楽ではなかった。これまで一度も親元を離れた経験がなかっただけに、掃除、洗濯、炊事などを自分でこなすだけで骨が折れた。ましてや言葉も勝手も分からない異国での独り暮らし……。日本に帰りたいと思ったことも何度かあった。でも、そんな僕の心の支えとなったのは、やはりキルギスの人々だった。キルギスには、親日的な人が多い。顔も日本人に似ているし、性格もやさしく、親切だ。キルギスの民族はもともとシベリアに住んでいて、そこから西へ向かった人々がいまのキルギス人となり、東へ向かった兄弟が日本人になったという言い伝えがあるという。雪を抱く山々に囲まれた美しい国土、やさしい人々の心、そしてゆったりと流れる大陸の時間。キルギスでの独り暮らしは、僕にとって、自分を見つめ直すいい機会になった。
外国人に日本語を教えることが、僕は大好きだ。イラスト入りの教材を使って、身振り手振りを交えて教えるのは根気の要ることだけれど、その分、こちらの意図することが理解されたときの喜びは大きい。実際に大学の教壇に立ってみて、僕はまだまだ日本語教師として勉強することが山ほどあることを痛感した。今後のことはよく分からないが、日本に帰って卒業したら、国士舘大学の大学院に進み、さらなる研鑽を積んでもう一度キルギスに来てみたいとも思っている。日本語を教えることの楽しさ、たいへんさ、人のやさしさ、親のありがたさ、物の大切さなど、さまざまなことを体当たりで学ぶ半年間。見知らぬ異国での経験は、僕の人生にとってかけがえのない財産となることだろう。
- 4年生 加藤 奏 (東京都/駒沢学園女子高等高校)
- 若菜さんと一緒に、キルギスに行って日本語を教えました。子供の頃から家族でよく海外に行っていたので、外国に行くのは大好きでした。大学で教えるときは、自分より年上の学生さんもいたので、すごく緊張しましたね。でも、キルギスではたくさんの友達ができました。女の子は美人が多くて、すごくオシャレなんですよ。食べ物はどれもおいしかったですね。ラグマンという麺類とか、プロフっていうピラフみたいなご飯もおいしかった。今後は、国士舘大学ではないんですけど、ある大学に就職が決まっています。大学の職員として、教育の仕事に一生関わっていきたいと思っています。
- 4年生 若菜 結子 (秋田県/聖霊女子短期大学付属高等学校)
- 2007年の9月から2008年の2月まで、キルギス国立民族大学で日本語を教えました。キルギスでは大学の教員用のアパートに加藤さんと二人で住んでいました。キルギスは冬がすごく寒いんですよ。暖房もあまり効かなくて、朝、寒さで目が覚めることもありました。向こうでの生活は楽ではありませんでしたが、おかげで強くなりましたね。視野も広がった気がするし。前と違って、多少のことでは騒がなくなりました。今後は日本語教師を目指して、国士舘大学の大学院に進むことが決まっています。まだ教え切れていないことがたくさんあるので、またキルギスに行って、みんなに日本語を教えたいと思っています。
- 3年生 石田 恭平 (神奈川県/県立相模原総合高等学校)
- 2008年の9月から、キルギス国立民族大学で日本語を教えています。最初に教壇に立つときは、本当に緊張しました。言葉のまったく通じない学生に、果たして教えられるのだろうかと……。そこで最初の授業のときに、折り紙の鶴を折ることにしたんです。キルギスには折紙の文化がないので、みんな不思議そうに見ていました。鶴の折り方を教えているうちに少しずつ心がうち解けて、コミュニケーションが取りやすくなりました。冬のキルギスは北海道ぐらい寒く、アパートには隙間風も入ってきます。すべてが快適というわけではないけれど、でも、この国の人たちの温かさに支えられて頑張っています。卒業したら大学院に入って、もう一度日本語教師としてキルギスに来てみたいと思っています。