国士舘大学体育学部スポーツ医科学科の学生は、大学院生、卒業生、教員とともに救護チームを結成し、日頃よりマラソンをはじめ、さまざまなスポーツイベントをサポートしている。2008年2月17日に開催された「東京マラソン2008」もその一つ。当日は「国士舘大学沿道救護チーム」を結成し、3万人以上の市民ランナーの健康維持をサポートする活動にあたった。
スタート前の午前7時30分、まず、日比谷公園に36名のモバイルAED隊が集結した。モバイルAED隊は、自転車を使って救援活動にあたる機動部隊で、救急救命士や看護士の資格を有する教員、卒業生、大学院生などの有志によって構成されている。今年はAED(自動体外式除細動器)の他に、各人に小型GPS装置が配られ、本部からの指示でさらに迅速に現場に駆けつけられるような態勢が取られた。点呼をしたのち、綿密な打ち合わせが行われる。練りに練ってきた救援活動プランの、最終確認を行うためだ。真剣な眼差しが、全体責任者の田中教授に注がれる。
一方、スポーツ医科学科の学生で編成されたBLS隊は、1kmごとのポイントに立ってランナーを見守る役目を担う。スタート前の人気のない東京の街に、50名の学生がそれぞれの持ち場へと散っていった。もちろん、各自の肩には、ずしりと重いAEDが……。緊張と寒さで、きりりと身の引き締まる思いがする。
そして午前9時5分、大会がスタートした。都庁前の沿道を埋め尽くす人の群れが、一斉にゴールめがけて動きはじめる。まさに壮観な眺めだ。気温はわずか3.6℃。人々の吐く息が朝日の輝きを浴びて白く立ちのぼる。
救護のために立っている僕たちの目の前を、ランナーたちが次々と駆けぬけてゆく。笑顔で手を振る人、黙々と足元を見つめて走る人、マイペースで歩く人、立ち止まってストレッチをする人……。「大丈夫ですか?」と、疲れの見える人を探して声をかけてみる。にっこり笑顔が戻ってくれば大丈夫。「ありがとう」と感謝の言葉を返してくれる人もいる。
東京の街が、いつもと違う顔を見せている。マラソンという名は付くものの、これは巨大なお祭りだ。走っている人々の笑顔が、何よりそれを物語っている。だが、祭りの楽しさも、ひとたび事故が起きれば消し飛んでしまうことだろう。昨日まで、大学の教室で、傷病者が出た場合を想定してのシミュレーションを行ってきた。しかし、訓練はあくまでも訓練。本番では何が起きるか分からない。実際、昨年の大会では2名の心肺停止者が出た。うち1名を国士舘の救護チームがAEDを使って救助している。走りゆく人を目の前に、無意識のうちに、何ごとも起こらぬよう心の中で祈っている。救護のために立つ自分たちだが、事故は起きないにこしたことはない。「何もすることがなかった」これが救護任務にあたる自分たちの最良の結果なのだ。
そうして、東京の空が鮮やかな夕陽に染まりかけた午後4時すぎ、3万人以上の人々が参加するマンモスマラソン大会は無事に終了した。幸い天候に恵まれたこともあって、重篤な健康トラブルは起きなかった。使うことなのなかったAEDを、背負っていた責任とともに肩から降ろす。軽くなった体にじんわりと、心地よい達成感が広がっていく。人のために何かをなすこと、その喜びを全身で知った一日だった。
- 3年生 奥津 弘章(神奈川県/県立西湘高等学校)
- 37km地点にいました。他のボランティアの方たちとコミュニケーションを取って、協力できたことが大きいですね。僕らだけの力じゃできなかったと思います。
- 3年生 桑谷 康平(島根県/開星高等学校)
- 雪の降った去年に比べたら、今年はそれほど寒くなかったです。大勢の人がいたので、とにかく視野の確保に努めました。無事に終了してホッとしています。
- 2年生 千田 いずみ(岩手県/県立黒沢尻北高等学校)
- 41.8km付近にいました。救急救命の勉強は楽しいですね。将来、困っている人に自分が駆けつけることで安心を与えられればと思って、いま頑張っています。
- 1年生 青木 健二(茨城県/県立下妻第二高等学校)
- 38km地点に立っていました。父が消防士なので、僕も救急救命士になりたいと思っています。結構たいへんでしたが、いまは達成感を感じています。
- 1年生 田中 里実(神奈川県/立花学園高等学校)
- 最初7km地点にいて、電車で39km地点の手前に移動しました。緊張で前の夜はほとんど眠れませんでした。とにかく傷病者の人が出ないことを祈っていました。